グローバル教育を視点とした歴史教育へのアプローチ

有能なグローバル人材育成には、その国の歴史や国家間における変遷を知ることが求められます。歴史を知り学ぶことは、グローバル人材育成への第一歩であり個人の受容力への成長にもつながります。
  • 僕は今回のサイエンスキャンプに参加して、いろいろなことを学びました。ハワイ島では主にハワイの歴史について学びましたが、僕はその表現が気になりました。日本で学んだ時には「真珠湾を攻撃した」といった風に習いましたが、ハワイでは「真珠湾が攻撃された」という表現で習いました。ごく普通のことではありますが、こちらにとって能動的であることは向こうにとっては受動的なことなのです。このことで、一つの事柄も違う角度から見てみればとらえ方も変わるということを学びました。

    また、ハワイ大学の見学にも行ったときには外国独特の雰囲気(皆がフレンドリーで話しやすく、また一人ひとりが自分の意見や考えをもち自信に満ちている)に驚かされました。日本では味わうことのできないもので、かえって魅せられました。

    この二つを経て、あることについて考えるようになりました。それは留学です。前々から興味はあったのですが、現地の雰囲気であったり、日本人の留学生の話を聞いたりとしたことで留学に対して強い思いを抱くようになりました。将来経営について携わりたいと思っているので、その時に役立てるためにも一度経験したいと思います。今回の海外研修だけでは学びきれなかったこともまだ他に色々あると思いますが、日本で学べることもあると思うので、日々の生活で出来ることから手をつけていきたいと思います。

    帝塚山中学校(奈良県)三島 基暉

  • 私は今回真珠湾に行って、戦争中に敵の軍人を水葬するなど昔の人の、敵である前に人間であるという考えに心を打たれました。戦争中から多くの歳月がたち、戦争の恐ろしさが薄れていってしまうと思うので伝えていくべきだと考えました。ハワイは多民族の国でその中には日本人もいたのに、日本国と戦争が始まってしまい自分はどうすれば良いのかと現地の人々は考えたと思います。それでもハワイはアメリカの国であり日本のためでなくハワイのために動いたと言うことはそれほどハワイがすばらしい島で人情にあふれているからだと思います。
    また現在ハワイはほかの国から流れてくるゴミで豊かな自然が失われつつあります。そんなハワイを環境破壊から守るために自分のできることをやっていきたいと思います。

    新潟県立長岡高等学校 2年 小林 大和

  • ミズーリ号では、日本の「神風特攻隊」の話を聞きました。零戦に乗り戦艦に突撃して戦死した日本兵を、水葬で弔ってあげたアメリカ兵の話にとても感動しました。また、アリゾナ記念館で見た「黒い涙」も衝撃的でした。浮かんでいる黒い点が「黒い涙」です。戦争が終わった今でも、海に流れ続けているものを見ると、戦争があったという証が今もあるということに驚きました。
    今回の短期研修で、ハワイは日本の攻撃を受けたということを実際に見たり聞いたりすることで、「戦争は絶対にしてはいけない。」と再確認させられるものとなりました。これからは、「戦争はしない。」と強い思いを持ち、平和について考えていきたいです。ハワイでしかできないような貴重な体験ができました。

    安心院中学校(大分県)3年 江口 駿平

  • 太平洋航空博物館では、歴史を感じる格納庫の中に入って、普通ではできない釘打ちをしたり、海軍服を着たりと、すごく貴重な体験ができました。また、太平洋戦争時に数々の日本の戦艦を沈めていったアメリカのグラマン機が当時のまま残っていたので、機体を見て少しぞっとしました。なぜなら、日本の零戦や人を次々と殺していったことを思い出したからです。ぞっとしたのと同時に、人を殺し合う戦争がなくなってほしい気持ちが強くなりました。

    駅川中学校(大分県)3年 高持 リヒト

  • その時その時で、学ぶことの多い研修ばかりでしたが、その中でも私が感銘を受けたことは、ハワイ日本文化センターで学んだ日系人移民のことです。
    「Okage Sama De(おかげさまで)」この言葉はハワイの日系人がとても大切にしている言葉だそうです。「おかげさまで」のギャラリーツアーの入り口には、石の柱が並んでいました。そして、よく見てみると、「恩」「頑張れ」など全ての柱に文字が書かれていました。それは、昔、「ハワイというところは天国らしい。」と聞いた日本の人々が、暑くて仕事も大変なハワイに来てしまったときから大切にされている日系人の「価値観」と、ガイドさんが説明してくれました。私はとても素晴らしい価値観だなあと感心しました。
    でも、ほとんどの言葉が前向きなものだったけれど、一つの言葉だけは違うなと感じました。それは、「仕方がない」という言葉です。私は、「仕方がない」という言葉は、石の柱に書かれた日本人の価値観の中で、唯一、後ろ向きなあきらめの言葉だと思いました。しかし、ガイドさんは、「この『仕方がない』という言葉も、日系一世の人々が大事にした価値観の一つです。よくあきらめの言葉と思われますがちですが、決して諦めの言葉ではなく、大変だけど、前に前に進もうとするとても良い言葉なんですよ。」と教えてくれました。それを聞いて私は、日系一世の人々をとても尊敬しました。きっと私だったら、異国の地が聞いていた話と違って暑かったり、重労働だったりしたら、前に進むどころか、諦めて帰国すると思います。だからその日系一世の人々は、とても我慢強くて、今の日本人より日本人らしい素晴らしい価値観を持っているなあと感じました。

    駅川中学校(大分県)3年 阿部 つづみ

  • 日系人とは、日本の主に七つの県からハワイに移住してきた移民なのです。しかし、日本軍が真珠湾攻撃をしてから、日本からの移民たちは敵国外人のため、砂漠の真ん中にある収容所に送られてしまいます。その後、アメリカの国民の一人として認められるように、自分の身を犠牲にして軍隊に志願し、忠誠を誓いました。そして日系人たちは、戦争に勝っただけでなく人種差別にも勝ったのです。後にハワイの知名度に貢献するため、日本から有名な芸能人をたくさん呼んだり、日本の文化を伝えたりした日系人は、ハワイの人々に認められ、尊敬されています。なので、日本人がハワイに行くと歓迎される理由は、日系人の一世や二世の人々のおかげなのです。こんなに辛くて、苦しい環境だったのに、それでもあきらめずに、自分たちの未来のために、自分自身を犠牲にしてでも戦争や人種差別と闘った昔の日系人の人たちに、たくさんの感謝の気持ちを感じています。僕たちは、目標を達成するために最後まであきらめずに一生懸命闘った日系人たちを見習うべきだと思います。

    西部中学校(大分県)3年 矢部 遥彦

  • 私はハワイという違う国で平和学習を受けることで戦時中の人たちが苦しい生活をし、家族との別れを悲しんでいたことを改めて感じました。今、平和な世の中で過ごせていますが、いつ戦争が再び起こるかは誰にも分かりません。私たち短期留学生が学んだ戦争の苦しみ、平和の大切さを友達や家族など少しでも多くの人へ伝えなければいけないと思います。そして、今ある平和をもっと大切にしていきたいです。

    西部中学校(大分県)3年 本多 友美

  • なぜハワイの人たちが、私たち日本人を優しく歓迎してくれ、手厚くもてなしてくれるのかが分かりました。私は、ハワイに行く前まで、ハワイの人たちが優しい理由を、日本人はマナーが良いからだと思っていました。しかし、それは私の勘違いで、本当は、日系人の方々の努力のおかげであると初めて知りました。
    元々、さとうきびの栽培を手伝うことが目的でやって来た日本人は、肌の色や顔の形が現地の人と似ていなかったり、きている服や日本から持ってきた物がハワイの人から見て変だったりして、周りからの人達から差別されてきました。しかし、差別されながらも、真面目に働く日本人が評価されました。戦争の時には、日系人だけでつくった部隊『442連隊』は、ヨーロッパの軍勢に囲まれたアメリカの大隊を救出するという難題にも応え、日系人の評価を上げました。
    私は、これまでハワイに尽くしてきた日系人の方のおかげで日本人が優しく歓迎されるのだと、この短期留学で学ぶことができました。日系人の方の努力を無駄にしないためにも、私たち日本人はもっと礼儀よく、優しくもてなされたことに感謝しながら、ハワイと日本をもっと深く結び付けていき、親交を深めていかなければならないと、私は思いました。そして、日系人の方々の努力と素晴らしさをもっと他の人たちに伝えていきたいです。

    西部中学校(大分県)3年 奈良 みやび

  • 平和学習では、日本では学べないことを学びました。日本人が戦争に行く前の遺書がありました。私が一番心に残ったのは、戦争に行ったら死んでしまうかもしれないのに、「喜んで行ってきます。」と書かれていたことです。国を守るために10代の少年がこんなことを書いてて、涙が出そうになりました。私だったらこんなことは書けないと思います。もう二度と戦争をしないために、学んだことをいろんな人に広げていきたいです。

    北部中学校(大分県)3年 原 のどか

  • 当時日本は、50人くらいでミズーリ号に攻撃を仕掛けたそうなのですが、そのほとんどが船にたどり着く前に撃ち落とされたそうです。けれど、50人のうちの1人がやっとの思いで船にたどり着き、ぶつかってできた傷がこの写真です。その後その人も亡くなりました。今も修理されていないということは、修理する必要はないと判断されたと言っていました。約50人が命を失ってできた攻撃がこれだけのことです。このへこみは攻撃と言えるほどのことでもないように思えます。今のように命の尊さを重んじていなかったのかなと思います。
    楽しい学習だけでなく、ハワイの悲しい歴史も知れて良かったです。そして、ハワイで学んだことを家族や友人に「自分で伝える」ことができて嬉しかったです。

    北部中学校(大分県)3年 徳光 恭子

  • ハワイ滞在中に、多くの平和学習もすることができました。私たちも年間を通して平和学習をしていますが、多くは日本の立場での学習になっています。しかし、今回の平和学習では、ハワイの立場での平和学習や、戦時中、日系人が大きな役割を果たしたことなどを詳しく学習することができました。子どもたちはもとより、私自身初めて知ることが多く、これまでハワイを題材にした平和授業を何回もしてきましたが、とても薄っぺらなことをしていたんだなあと反省するばかりです。また、事前に宮原まゆみさんから出されていた宿題の意味がよくわかりました。
    今、平和が脅かされている状況が日本にもあると強く感じます。私たちは、子どもたちに平和な世界を構築していくことを目指す社会の一員になってほしいと常に願い、その思いを育てていきたいと思っています。今回のハワイでの平和学習は、そういう意味では大きな成果があったのではないかと思います。ハワイ(アメリカ)をはじめ、世界中の人々とつながるためには、史実をきちんと伝えていくことが大切だと心から思いました。

    短期留学引率教員 児島 誠一郎

  • 研修中に訪れた様々な場所の中では、僕は「戦艦ミズーリ」が印象に残っています。ガイドさんのお話の中に、アメリカ人の心温まる勇敢な態度がありました。「神風特攻隊」が甲板に突っ込んだとき、戦艦は機銃掃射を行い、パイロットと右翼が乗り上げたそうです。このとき、船長は「祖国の為に命を捧げたこと、この戦艦に近づいた操作技術をたたえ、葬式をあげよ」と指示し、敵軍の葬式を上げたそうです。果たしてそれが日本または僕だったとき、そんな態度は取れただろうか?今でも考えています。

    今回の海外研修で自分が変わったと思うことは、感謝の気持ちを表すことが多くなったということです。前は、「思っても言えない・動けない」ということが多かったのですが、海外研修が終わった後は、気づいたら「ありがとう」と言っていました。それは、今回ハワイで “Thank you.” と言う機会が多かったからだと思います。この海外研修を通じて自分の気持ちを表現できるようになったと言う変化は、自分自身嬉しい成長だと思います。

    世羅町西中学校(広島県)2年 中山 直士

  • 次に、研修テーマ3つ目の「平和について考える」ということについてです。僕は、平和公園や原爆ドームなどを見学し、戦時中の辛さがどれほどのものなのか、知っています。以前からわかっていた平和の大切さではありますが、今回の研修で改めてこの視点で学ぼうと思い、このテーマを設定しました。ハワイではいろいろな場所を見学しましたが、僕が一番平和について考えたのは、えひめ丸記念碑のところでした。この出来事は戦争ではなく事故でしたが、大きな悲しみを感じました。本当の意味での平和は「戦争がなくなれば」ということではなく、人が命を失う事故をなくしていくことも平和の第一歩だと思いました。

    世羅西中学校(広島県)2年 前大道 一翔

  • えひめ丸が沈没した後、亡くなられた方たちの遺体を、アメリカ海軍が引き揚げたという話です。日本では普通のことかもしれませんが、アメリカの習慣では、遺体は引き揚げるべきではないとされています。この点も文化や考え方の違いだと思いました。しかし、アメリカ海軍は遺体を引き揚げてくれました。それはアメリカ海軍が、遺族の気持ちや日本の火葬による葬儀の風習を知り、それを理解したからだそうです。他国の風習を理解し、行動に移すという姿勢が凄いと思いました。事故から半年経ったものの、アメリカと日本、双方が納得できる結果となりました。

    また戦艦ミズーリを見学したときに聞いた話も印象に残っています。日本の神風特攻隊がミズーリに衝突した際に、アメリカ兵がミズーリ上で亡くなった日本兵の水葬をしたという話です。敵であったのに水葬をしたのは、船長の「この人に戦う意志はもうない。攻撃されながらもここまで近づいてきた操作技術と、祖国のために自分の仕事を全うした姿勢は素晴らしい。」という言葉がきっかけでした。こんな風に、国籍や敵・味方関係なく亡くなった方を大切にすることができるのも凄いことだと思いました。私がもしこのとき船長の立場だったら、水葬はおろか、こんな言葉を言うことができただろうかと、考えさせる話でした。お互いに思いやる気持ちがあれば、戦争などなくなるのではないかと感じました。

    世羅中学校(広島県)2年 石々坪 史佳

  • 経験を通して、『グローバルに活躍すること』、その根源は、かつて日本から多くの移住された日系移民の方々の変遷にあるのではないかと私は気づいた。文化センターや、県人会の方々から学んだ、ルーツを大事にする気持ちと、感謝する気持ちこそが、現代の『グローバル』に通ずるもので、世界で活躍するにあたって大事にしなければならないことだと強く感じた。時代や背景は違えども、日本を離れて遠く見知らぬ地で自分自身の生活を切り開いていくことに違いない。
    そして、今回の研修を通して私はグローバルの本質とは、私自身が考えていた以上に困難なことであり、それと同時に想像以上のものが得られるものであると学んだ。将来、私の目指す教員として、身をもって体験したグローバルを伝えていくことで、まだ直接経験することの無い子どもたちに、夢と希望を与えられたら、と考えている。グローバル人材の育成に携わり、貢献することが私の目標である。その為に今回の研修で学んだことは大いに活きてくると思う。

    西南学院大学  文学部学科 2年 原 弘華

  • ヒロのホストファミリーのKanemoto家には、家紋が飾られていた。私が、「Kanemoto家の歴史について知りたい。」と伝えると、家系図を見せながら教えてくれた。家系図には、移民として渡米した祖先より前の世代から記されていた。ホストファミリーは、「もっと家族の歴史について知りたいけれど、日本語が難しくてわからない。」と話していたため、私の拙い英語ではあったが、辞書を引きながら、わかる範囲で家系図を訳し、先祖が何をしていたのかを伝えた。私は、家紋や家族の歴史、日本の文化を大切にしている姿を見て、日本人よりも日本人らしいと感じた。そして、これから、さらに世代を重ねるにつれて、日本人移民の歴史が希薄になっていかないように、県人会の開催や、私自身、これからも交流を続けていきたいと強く思った。

    日本赤十字九州国際大学  2年 久枝 綾音

  • 今回のプログラムの大きな目標の一つである、ハワイに移住された日系人の歴史を現地で学ぶという目標を達成しました。ハワイを訪れる前、事前に日系人の歴史を調べてレポートをまとめ、ある程度理解して行きましたが、ホノルルにあるハワイ日本人文化センターを訪問し、自分で事前に調べたことよりも多くのことを学びました。ここで一番印象に残ったことは第442連隊戦闘団に関するビデオです。第442連隊戦闘団については、日本で事前にある程度調べていましたが、ビデオを見る前の第442連隊戦闘団に対する思いと、見た後の思いは異なりました。ハワイ日本文化センターを訪れてビデオを見る前は、「最も多くの勲章をもらった日系人部隊で、すごく優秀で素晴らしい部隊だったのだな。」「失われた大隊を救い出す実力を持っていた隊だからこそできた、日系人のアメリカへの忠誠の示し方なのだな。他にも忠誠の示す方法はあったが優秀だからできたのだな」と思っていました。しかし、ビデオを見て印象がガラリと変わりました。
    1世が知らない土地で生活していくため、過酷な状況でも我慢して頑張り、2世が戦争中、立場が悪くなっても諦めずに前を向いて戦ったから、今の日本人の立場があるのだと思います。このことを私はとても誇りに思います。

    九州大学  経済学部 2年 高島 潤

  • プログラムで得た大きな学びの一つは、日系移民の方が辿ってこられた歴史を、現地で直接学べたことだ。現代はその気になればインターネットでなんでも調べられる世の中だ。もちろん私も、プログラムに参加する前に大まかなハワイの日系移民の歴史はネットで調べていた。しかし実際に現地に赴くと、知っていることでも感じ方が全く違った。
    私たちはヒロでハワイ日本センターを、ホノルルではハワイ日本文化センターを訪問した。ハワイ日本センターでは、案内して下さったアルノルドさんが、自身の祖母が実際に使われていたお弁当箱を見せながら教えて下さった、「プランテーションの現場ではいろんな国からの移民が働いていて、みんなでお昼ご飯を食べていた。その昼休みの時、違う国同士の中で自分の国との共通点を見つけていた。今は外国の人と交流するときは<自分の国との違い>をみんな探すだろうけれど、あの当時はお互いの言語も違ったから、なんとかして打ち解けるために<同じところ>を探していた。」という言葉が印象に残っている。
    違いを見つけるのは簡単だ。しかし、同じところを見つけることはなかなか難しい事なのではないだろうか。同じところを見つけることで国籍の違いを越えて、心の距離をより近づかせることができる。日頃、留学生と接する機会が多い私にとって、これは大きな発見だった。

    福岡女学院大学  国際キャリア学部 1年馬場 幸穂